農業は人との語らい

      自然とのささやき合い

       天地の神々の声を聴く世界

 

 

 戦後間もなく武蔵野の地に生まれ育ち、以来、半世紀余りを都会の塵網の渦中で暮らした後、還暦を前にして上総国・極楽寺の田舎に移り住み、たまたま“遊び心”が嵩じて始めたのが野良仕事でした。

 それから十有年、有機・無農薬、露地栽培をモットーに、美味しい野菜や米作りを楽しみつつ、四季折々の作物を栽培しております。そんな私の道楽農業を、ご笑味くだされば幸いに存じます。

 

2023年 立冬

10月上旬に種蒔きをしたニンニクは今、芽を出し順調に育っている
10月上旬に種蒔きをしたニンニクは今、芽を出し順調に育っている

 ニンニクやソラマメの種まき、そしてタマネギ苗の植付けを終え、あとはサツマイモ(安納芋)と小豆(丹波大納言)や黒大豆(ドラ豆)の収穫ばかりとなり、今年の農作業もほぼ終わりを告げようとしています。農業は夏場を中心に草刈り・草取り・草むしりという大変な労苦を経験し、やがて実りの秋を経て一年が終了するのですが、今その時節を迎え改め畑を眺めると、往時の活気が失せて何とも言えない物淋しさを感じない訳にはいきません。

 そんな気持を毎年、何度となく味わいながら、農業を始めてから来年で足かけ20年にもなろうとしています。今まで30種類ほどの野菜を栽培し、時には栽培に失敗し悔しがり、時には思いのほか豊作を喜び、そうして毎年、毎年、同じ農作業を繰り返してきました。でも今年の秋は、来年の抱負を掲げ「ああしよう、こうしよう」などと前向きな思いを巡らすのではなく、やや後ろ向きな気持になって離農への道を模索し、その準備を始めようとしています。

 もちろん今すぐに農業を止めようとしているのではありません。しかし、一昨年辺りから野菜の栽培量を年ごとに減らしてきており、このため今年の夏の段階では借用している農園用地4反(1,200坪)のうち1反余りを地主さんにお返ししました。そして来年の夏には、さらにもう1反分を返却し、残り2反分の畑で農業を続ける予定です。

 このように農園の規模を縮小し、作付けする野菜の種類を少なく、かつその栽培量も減らそうとする大きな理由は、第一に農業に携わる時間を大幅に減らし、いまだ充分に叶わず仕舞いの文筆やスポーツ活動を充実させたいという思いがあるからです。それと、あと3年で80歳という人生の節目を迎えるなど、私に残された人生はそう長くはありませんから、農業の道楽もそろそろ店仕舞いする時期に来ていると感じております。

 そのような訳でニンニクの栽培も一昨年は1,200株、昨年は900株を栽培しましたが、今年は700株ほどに留めましたし、10月に播いたばかりソラマメも昨年の半分の20株ほど、11月になって植え付けたタマネギの苗も昨年の半分の50苗とし、ソラマメと同様、自分たちが食べるだけの量を栽培することにしたのです。つまり出荷・販売を兼ねた売る農業はニンニク、カボチャ(すくな南瓜)、薬草野菜(雲南百薬)、ダイズとアズキ(丹波大納言)などに抑え、もっぱら自家消費を優先する農業への転換です。

 あとどのくらい農業を続けられるか? 判りませんが、できる範囲で細々とやっていこうと考えています。今日は「立冬」、暦上では冬の始まりを告げています。しかし、ここ極楽寺では、空は青く澄み渡り、暖かい南風がそよ吹いています。果たして、今冬は寒くなるのだろうか?

 

2023年 夏至

 梅雨もまだ明けやらぬ6月下旬、ようやく畑仕事が一段落して、もう今日は完全休業という実に自由溢れた日、夏の青空にいくつもの雲の塊がぽっかりと浮かんだ様子を見上げつつ、久し振りのサイクリングに出掛けました。確か今年で三度目の自転車乗り、足慣らしの積りでゆっくりスタートしたのですが、意外とペダルは軽快に回り、のっけからの坂道では軽く時速50㎞台で走り下るなど、久し振りにしては身体もリラックスして爽快な走りでした。

 やはりサイクリングは楽しい! けれど、農作業を休んで半日あるいは丸一日もの時間を得る機会は、なかなかありません。それで、いつもは畑仕事を終えた夕方に近くのプールで水泳を楽しむだけの日課が続いているのですが、今日はようやく昼前から自転車をクルマに積んでプールがあるスポーツ施設まで運び、そこから走り出したという訳です。そうすればサイクリングを終えてから、すぐに施設のプールで泳げるからです。

 こうして少しばかりですが、フリーな時間が得られるようになったのも、実は今年から、いや昨年の秋の作付け時から、野菜栽培を半分ほどに減らしてきたからなのです。すでに今年5月~6月に収穫を終えたソラマメやタマネギは株数にして前年の半分、ニンニクも前年の作付け1,200株から900株へと減らしたし、今年に入って種まきしたオクラ(ダビデの星)も40株から20株へ、カボチャ(すくな南瓜)も80株から40株へと減らしました。ただ、ナス(サファイヤ小ナス)とトウガラシ(栃木三鷹)は苗まで育て、みな順調に生育したため、数量的には前年並みとなりました。

 

農園全景(手前の空き地はニンニクやタマネギの収穫を終えた畑~奥の畑にカボチャやナスなどを栽培中
農園全景(手前の空き地はニンニクやタマネギの収穫を終えた畑~奥の畑にカボチャやナスなどを栽培中

 でも大半の野菜の作付け量を少なくしたことが、ようやく今頃になって自由な時間が得られるようになったと思われます。申すまでもなく、数多くの種類の野菜を沢山作れば、それだけ種まき、栽培、収穫に至る作業量は増え、同時に保存や販売管理に係わる時間も膨らみます。それが今年のことで言えば、たとえば収穫済みのジャガイモ(きたあかり)やエシャレット、カブなども自家消費を前提に少量を栽培しただけですから、収穫作業も手早く終えることができました。またソラマメもタマネギも前年の半量ですから、販売先も東京のお得意様宛だけで、東金市の道の駅「みのりの郷」への直売も行うことがありません。

 つまり必要以上の大量生産と販売、そのために係る多大な時間と費用が節約できるという理屈です。確かに売上金は減りますが、時間をコストに換算した費用対効果という面で考えてみると、収益率は逆に高まります。昨年もこの農園日誌でカボチャの栽培と販売について記しましたが、いくら高品質の南瓜を沢山作ったところで、その分、販売価格を低くせざるを得なくなってしまうという結末に至りました。良い野菜をより多く作りたいという生産者の気持、そのプライドは持っていても、それが収益として満足した形で跳ね返ってくることはないものと悟った次第です。

 所詮、私の農業は“道楽農業”です。その本道に立ち還って、より良い野菜作りを探し求め野菜を作る楽しみと喜びに徹していこうと、改めて思うのです。さすれば、このように久し振りに「農園便り」日誌を書く時間的余裕もできますし、サイクリングも好きな囲碁も楽しめるのではないかと密かに願っています。私も今年12月に喜寿を迎えます。残された時間も余りあるとは言えませんので、今後とも自身の時間を大切に使っていかなければと考えているところです。(このことについては近く「天地逍遥」の項で書き記す予定です)

 

2022年 白露

丹波大納言は今年も可憐な花が咲き、11月の実りの季節を待っている
丹波大納言は今年も可憐な花が咲き、11月の実りの季節を待っている

 

蜻蛉(とんぼ)獲り 今日は何処(どこ)まで 行ったやら  

 

 その昔、私が少年時代の話です。当時の子供達は夏ともなると昆虫採集用の柄の長い虫網と竹籠を肩に掛け、それこそ毎日のように蜻蛉獲りに出掛けました。そして、空中に舞う蜻蛉を追い駆け、あちこちの野原を巡り回るうちに自宅から遠く離れてしまい、やがて夕暮れが迫ろうとする頃に家路へと戻るのでした。その頃、夕食の支度をしていた母親は、蜻蛉取りに出掛けていつまでも戻らない遊び好きの我が子を思いやり、「どこまで行ったのかしら」などと呟いたものです。

 そんな蜻蛉や蝶々、そのほかカナブンやバッタなどの昆虫採集に夢中だった私の少年時代は、戦後も間もない頃ですから、東京といえども野原や森や麦畑が広がる自然も多く残されていました。ですから東京・中野にあった自宅の庭にも、夏ともなれば沢山の蜻蛉や蝶々や蜂が飛び交っていたのです。蜻蛉はといえば、最も多かったのがムギワラトンボとシオカラトンボでしたが、たまに蜻蛉の王様ともいえるオニヤンマや滅多に見ることがないギンヤンマも、それこそ颯爽と飛来し、いくたびも庭中を飛び回りながら、やがてギラギラと輝く夏の太陽の光の中へ消え入ってしまったものです。

「ギンだ! ギンヤンマだ!」

 誰に知らせる訳でもないのに、そのたびに少年の私は声を発したものです。文字通り陽の光で銀色に輝きながら瞬時に、それこそ目にも留まらないスピードで飛行し、とても虫網などでは容易に掬うことができないギンヤンマを見るたびに、気持が高ぶるのを覚えました。

 そして、それから数十年後、いやいや10年や20年というレベルではなく、まさしく少年の頃から60年余りを経た今、わが農園の畑に、妻と二人で沢庵大根(新八州)のタネを播いている最中に、ギンヤンマが現れたのです。思わず私は妻に声を掛けました。

「ギンヤマンだ!」

 しゃがみこんだ妻と私の中間に、地上から1メートルほどの高さで、羽を細かく震わせながら、ゆっくり飛んでいます。全身が真っ黒で長い胴体と尾を持つオニヤンマよりも、身長はやや短いものの太い胴体は緑色と銀白色に輝き、尾に繋がる腰の部分は青空のごとく真っ青に染まっていました。オニヤンマは昨年8月末、畑にやってきましたが、辺りを二度ほど旋回するとサーっとスピードを上げ畑の向こうの竹藪へ飛び去って行きましたが、今年の珍客はしばらく私たちの周囲をゆっくりと巡り、再び私の目の前の位置に留まり、時間にして2~3分ほど滞在していたと思います。お蔭で、その姿をじっくり観察することができました。

 南瓜(すくなカボチャ)やトマトなど夏野菜の収穫を終え、今は大豆(青豆・ドラ豆)や小豆(丹波大納言)、唐辛子(栃木三鷹・鷹の爪)、山芋(つくね芋)など秋の実りを待ちつつ、この季節の変わり目に突如、飛来したギンヤンマの姿に、心が揺さ振られる思いでした。

 

2022年 入梅

 季節の流れは実に速く、春の種まきシーズンから始まってナスやトマトなど夏野菜の育苗のかたわら、ソラマメ、ニンニク、タマネギなどの収穫に追われているうちに、早くも梅雨入りとなり6月も中旬になってしまいました。この間、この農園日誌を書こうと思いつつも、農作業に追われてその猶予もなく、3月から3ヵ月余りの月日を経てしまいましたが、ようやく昨日は妻と印旛沼の近くにある日帰り温泉「大和の湯」に浸かるなど束の間の一休みの機会が得られ、そして今日は朝から雨がそぼ降るのを幸い、こうしてパソコンに向って日誌を記している次第です。

 さて、今年の特記すべきことは、数年前から取り組んできたナス、トマト、トウガラシの種まきと育苗がまずまず成功し、無事に畑へ植付け育っていることです。これらの三種の野菜は主として自家消費用に作っていたもので、かつては種苗店から少数の苗を購入していましたが、やはりカボチャ(すくな南瓜)やオクラ(ダビデの星)と同じく種から一貫して栽培したいという思いもあって、毎年、3月からの3ヵ月間というもの苗づくりに腐心をしております。

ナスは全部で17株を定植
ナスは全部で17株を定植

 ナスは「真仙中長」という山形県を中心に東北地方で栽培されている小ナスで皮が大変、軟らかく、塩漬けや糠(ぬか)漬け用に最適なナスです。当家では、まだ十分、成長しない小さなうちに、惜しみなく収穫し、一晩、糠漬けにして食べています。小さいから丸ごと頬張るのですが、これが格別に旨い! ご近所をはじめ糠漬けをされている家庭へは毎年、進呈していますが、皆さん口を揃えて「美味しい」と喜んでくれています。

 実はこの柔らかな小ナスの味わいを知ったのは、6年ほど前に山形県出身の友人シュウさん宅でご馳走になってからで、以来、自家の漬物用にシュウさんに依頼し山形から直接、苗を取り寄せてもらい栽培していたのです。しかし、その接ぎ木苗を作っておられた山形の農家のお爺さんが高齢を理由に育苗を止めてしまったため、やむなく東北地方の種苗会社から種を購入し3年前から自力で苗を作り始めたのです。毎年3月上旬に種まきをするのですが、育苗用のハウスや暖房器もないのでどこまで育てられるか心配しながらも、今年は秋ナス用をも含め全部で40株ほどを育苗、栽培することとなりました。

トマトは全部で21株、ナスと隣り合わせで植え付けた
トマトは全部で21株、ナスと隣り合わせで植え付けた

 トマトは「ホーム桃太郎」と呼ぶ素人でも育てやすいと言われる品種で、5月になるとタネ屋さんやホームセンターでも接ぎ木苗として売り出しています。大概の苗は接ぎ木をしていますので価格も一鉢、300円前後になりますから、ならば購入するよりも安価な種子を調達して自力で育てようという訳です。今年はポットで21苗を育てて畑へ定植し、今のところ順調に生育しています。でも、ハウス栽培ではなく完全な無農薬・露地栽培なので、病気に侵され黒ずんで腐ってしまったり、ちょうど赤くなった頃に動物にかじり取られてしまうのが通例で、この先、どうなるかは判りません。

トウガラシの植え付けは、栃木三鷹と鷹の爪を合わせ80株余り
トウガラシの植え付けは、栃木三鷹と鷹の爪を合わせ80株余り

 トウガラシはこれまで「鷹の爪」という比較的、辛みの強い品種を出荷用に栽培してきましたが、今年は栃木県の大田原地方を中心とした特産品で「鷹の爪」よりもさらに辛みが強いという、「栃木三鷹」と呼ぶ品種を育成、栽培することにしました。このため昨年には、現地から種子を取り寄せ実際に食味をしました。するとただ単に辛いだけでなく、辛みの中に爽やかな味わいを覚え、これならば作りがいがあるとの結論に至ったのです。寒さに弱いトウガラシゆえ、種まきをして芽が出るまで時間がかかりましたが、なんとか60株余りの苗を育てあげ、ようやくすべての苗を畑に植付け終えたところです。

 

 こうした夏野菜の種まきと育苗をほぼ終えた3ヶ月間でしたが、この間、海外ではおぞましい戦火の嵐が吹き続けています。まことに馬鹿げた事態が続いており、何とか一日も早く収束させることを願いつつ、争いで犠牲になった沢山の市民や兵士に対し謹んで哀悼の意を捧げます。一方、幸いなことにコロナ・パンデミックは徐々に下火に向かっていますので、今後とも平穏で活力ある社会が呼び戻されるよう期待して止みません。そして、かつて1世紀前の“スペイン風邪”の後に起きた関東大地震や世界経済恐慌などといった不幸が訪れることのないよう、そのためにも世界の人々が理解と協力を深め合い、共に手を携え連携していくことを強く願っています。

 

2021年 小寒

陽射しは暖かくも冷たい風に吹かれ冬を越す大蒜、玉葱、蚕豆(ソラマメ)、白菜たち
陽射しは暖かくも冷たい風に吹かれ冬を越す大蒜、玉葱、蚕豆(ソラマメ)、白菜たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一年という月日はあっという間に過ぎてしまい、またもや今年のお正月を迎えることになりました。ほんとうに時の流れは早く、歳を取れば取るほど早く感じてしまうのは私だけではないでしょう。それだけこの一年間、やるべきことを十分、行ってこなかったとも言えますし、当初の計画や目的を満足するまでやり切れなかったとも言えます。ともあれ年が明けて今は正月、畑仕事は年末にほぼ終えて農業はしばらくお休み中なので、昨年の反省をしつつ、今年の農作業を展望してみたいと思います。

 まず昨年の野菜栽培の成果ですが、各作物の出来具合は五分五分、良くできた野菜もあれば、思いのほか不出来な野菜もありました。不出来な野菜はオクラ(ダビデの星)や茄子(山形小ナス)で、オクラに至っては初期段階から果実の付きが悪く、売り物になる物ができませんでした。昨年は長雨にたたられ花が咲くのも遅く、咲いてもすぐに萎れたり腐ったりする始末だったのです。

 これに対し良くできたのは当農園の代表作物である大蒜(ニンニク=上海早生)と前回(昨年の立秋)の記事でお話した南瓜(すくなカボチャ)です。南瓜は収穫した半分以上が一本当たり2㎏のサイズ、3㎏以上が30本余り、最大は3.9㎏という過去最大の南瓜を栽培することに成功しました。すくなカボチャを作り始めて8年目、ようやく自分なりに栽培法を手中に収めたと思います。

 同じく良くできたというか、予想外に沢山、収穫できたのは西瓜(マダーボール)と小豆(丹波大納言)です。西瓜は当初、なかなか結実しなかったのですが、8月後半に入ってからは次々と成熟し、なんと植え付けた4株から大小含め80個ほどの果実を得ることができました。時期的に遅く実が付きシーズン外れとなったせいか、アライグマなど動物に食べられずに済んだことが考えられます。また小豆の栽培は昨年から始めたばかりですが、今年は昨年の6倍ほど作付けし、それ相応の収量を得ることができました。しかし、小豆の収穫期間は昨年と同様、2カ月ほどかかりましたので、沢山できた分、選別して出荷するまでに相当な時間を要しました。

 こうして南瓜も西瓜も小豆も良くできたけれど、いざ売るとなると高い値段はつけられず、どちらも市価の半値以下で出荷せざるを得ませんでした。良くできたものを高い値段で沢山、売れるのが理想ですが、毎年買ってくださるお得意様に対し高値は付けられないし、余計に買っていただくためには自ずと価格を下げざるを得ないという事情が厳然としてあるからです。

 そこで来年からは必要以上に作らないよう、栽培計画を見直そうというのが、この間に考えていることです。野菜を沢山、作れば、それだけ売るのに手間暇がかかりますし、良質なものを作っても決して高い値段は付けられないのであれば、ある意味、生産面で調整をするよりほかにありません。ですからお得意様の例年の注文数を前提にして、それに自家消費分と当農園のファンへのプレゼント分を加えた数量、さらにリスクヘッジとして天候や動物による被害も若干、想定したうえで作付けを検討しようというわけです。

 すでに作付けした大蒜は、昨年と同じく約1,200株がもっか生育中ですが、今年から作付けする野菜についてはお客様のオーダー数を大前提に、その数量を勘案していきたいと思います。例えば南瓜の栽培は昨年の120株から減らすほか、茄子は直売所の道の駅への出荷は止め自家消費とぬか漬けを行う家庭向けへのプレゼント分だけに、小豆はすでに注文が寄せられている分として昨年の1.5倍の3,000株ほどを、薩摩芋(安納芋)は昨年と等量の収穫を見込み150株を植え付けようと考えています。

 年頭に際し、いろいろ思いを巡らしながら、今年も美味しい野菜を作っていこうと思っています。例年通り寒の時節が明け2月の立春頃から、まずは畑の耕耘と堆肥の投入を行い、2022年を始動するつもりです。

 

2021年 立秋

 立秋の今日(8月7日)、野菜の出荷先である地元の道の駅“みのりの郷・東金”ttps://minorinosato-togane.com/にて専用スペースをお借りし、宿儺南瓜(すくなカボチャ)を店頭販売いたしました。昨年、一昨年と作付け段階で不手際や失敗があり不作だったこのカボチャ、今年は慎重に栽培管理を行い、まずまず大きく立派なものが出来たので、宣伝を兼ねながら直売することにしたのです。

 しかし、台風接近でお客さんの来店が少なく、また、このカボチャの価格が1本500円~1,000円と値段が張るため敬遠されがちで、売り上げは3年前あるいは4年前よりも半分以下となり冴えませんでした。とはいえ私の値付けは本場(飛騨高山)や東京市場、あるいはインターネット通販の半値以下ですから、決して高いとは思っておりません。すでに東京のお得意様から多々、注文が入っていますので、直売を終え、これからクルマでの配達も含め販売に精を出そうと思っています。

 それにしても最近、思うことは、「果たして品質の高い立派な野菜を作れば、それでよいのか?」という疑念です。この宿儺南瓜を作り始めて今年で12年が経ち、この間、より大きなものを沢山、作ろうと、作付けに駆使惨たんしてきました。その結果、ようやく私なりの栽培法を確立し、今年は品評会へ出品しても恥じないものを生産することが出来たと思っています。それなのに疑念を抱くのは、「良いものを作っても、それなりの価値相当の値段では売れない」ということです。

 良質な野菜を作る生産段階で数々の失敗を重ねながら、ようやく満足できる商品を作っても、次は市場との対話を含め売りさばく課題が与えられるのです。ましてや宿儺南瓜という知名度の低い野菜を売るのは、私一人の頑張りだけではどうにもなりません。所詮は野菜、食べてしまえばそれで終わりの商品ですから、カボチャだけでなく大蒜(ニンニク)も含め、当農園のメイン野菜類について余り高品質、高価格にこだわらず、形もサイズも普通に、すなわち並レベルに留めておいた方が良いのかも知れないと、近頃、そんなことを考えているのです。

 実際、生ものの野菜は形や大きさが普通サイズであれば、品質的に安定が保たれやすいのです。逆に大きなものは、その大きさゆえに形が変形、あるいは腐食する因子も含むリスクを抱えるからです。ですので、より大きく立派な野菜を沢山、作ろうとのこだわりは捨てて、中等レベルの普通の味良い野菜作りを目指した方が良いのではないか、そんなことをうすうす感じる今日この頃です。

 もうすぐ秋の季節が巡ってきます。大蒜は9月下旬のタネ蒔きに備え、旧盆明けからタネ選びや畑の耕耘、畝作りを開始します。生もの相手の切磋琢磨が始まります。こだわりを捨て、肩を張らず普通にやるか、どうか……。 

今年収穫した最大のカボチャ<重量4.8kg、全長54㎝、胴回り最大53㎝=収穫22日後測定値>
今年収穫した最大のカボチャ<重量4.8kg、全長54㎝、胴回り最大53㎝=収穫22日後測定値>

2021年 立夏

 新緑も鮮やかな皐月の季節、澄み通る青空の下、樹木の枝や葉は薫風に吹かれて揺れ動き、爽やかな天候に恵まれる筈ですが、何故か? ここ極楽寺も、すでに梅雨の気配が漂う日々が続いております。今年は季節が早く回転している所為かも知れません。桜の開花時期もそうでしたし、梅雨入りも西日本では特別に早かったようです。ですから農作物の出来具合も早まり、こうした季節の流れの中で大蒜(ニンニク)の収穫も自ずと早くなりました。例年ならば5月下旬から6月上旬にかけての収穫となりますが、今年は5月中旬に収穫を始めました。

 それにしても慌ただしい収穫作業でした。その場で2・3日間、畑で干せば、大蒜の球や根に付いた泥土もある程度、乾くし、大蒜の品質も安定化します。しかし、今年は五月晴れの日は少なく、すでに梅雨の奔りもあって晴れ間は続かず、収穫をいつやるか、そのタイミングを推し量っていました。そして晴れの日が2日間、続くとの予報で14日に約1,200本の大蒜を畝から引き抜き始め、それを畑の上に寝かし、2日後の16日の午前中に急いで葉茎や毛根を切り落としてコンテナへ収納しました。この3日間、妻にも手伝ってもらったお蔭で作業がはかどり、当日、ポツポツ雨が降り始めました昼過ぎには大蒜を畑から自宅へ持ち返ることができました。

  さて、私が作っている大蒜はというと、品種は「上海早生=シャンハイ・ワセ」というものです。上海という名の通り原産地は中国ですが、日本では九州や四国地方で昔から作付けされている暖地系の大蒜で、都会のマーケットでも一般的に売られている品種です。これに対し寒い地方で作られているのがホワイト六片という品種で、国産品では最も高価で高品質な大蒜です。かつては私もこのホワイト六片ばかりを作り、かなり大きくて形の良いものを収穫していましたが、気象の影響からか? 7・8年ほど前から病気に侵され易く、収穫後も腐食が頻繁に起こるので、その後は作付けを諦めました。

 それでホワイト六片と同時併行で10年ほど前から作付けしていた上海早生を、近年は全面的に栽培してきており、今年も昨年秋に植え付けし冬を越し春を経て成長した株の収穫となった訳です。とはいっても、大蒜の球根を植え付けてからこの間に発芽しなかったもの、あるいは芽は出ても茎葉が細く小さく成長しないもの、また葉茎は大きくなっても球根がまん丸のままで分球しないものなど、つまり大蒜としての姿形に至らなかったものが60本余り、すでに畝から引き抜いております。

 さらに今回、掘り出した段階で球根そのものがしっかり固まっていない、いわゆる球割れの状態のものや、なかには水気を吸って腐りが出ているものも結構、ありました。きちんと成熟し切れなかったからでしょうが、この類の未成熟あるいは病気に侵されているものは今年に限らず毎年、必ず有ります。今回はざっと数えたところ110球余になり、これらはすでに商品価値を失っています。したがって商品として収穫できた大蒜は1,000球余り、作付けの85%というとこでしょうか。収穫率という面ではまずまずの出来でした。

 そして最も重要な品質という点では、今年は幸いにも病気に罹った割合が少なく、多くが実の締った健康的な大蒜でした。サイズも小さなSサイズは全体の2割ほど、むしろ大きい特Lサイズ、Lサイズがかなり沢山あるなど、総じて今年の大蒜は豊作だったと言えます。収穫した今は生まれたての大蒜が内包する水分を3割ほど除去するために、除湿・送風・乾燥といった乾燥作業を連日行っており、出荷するのは6月中旬以降となります。今年は自信を持って大蒜を世に送り出すことが出来そうです。

 

2020年 大雪

 早くも12月となり、新型コロナ・ウィルス感染症に世界中が翻弄された一年が終わりを告げようとしています。年の終わりが疫病の収束となれば、この上なく幸いなことですが、どうもそのような気配はなく、むしろここ最近は感染の広まりが欧米はもとより日本においても、負けず劣らず進展しているようです。しかし、ワクチンや治療薬の開発が進んでいるようで、それが世界的なレベルで使用されることになれば、何とか今回の大騒動もやがて沈静化していくのではないか、大いに期待したいところです。

  その点でこの先、注視したいのは、冬場の北半球の国々のコロナ感染症がどのように推移するのかどうか、そして来年7月に延期された東京オリンピックが中止もしくは開催されるかどうか、さらに開催された場合、観客の動員数などに関しどのような規模で、またいかなる運営手法で実施していくのか、といったことが重要な関心事になろうかと思います。

  とはいえ私のような田舎暮らしの人間には、これからもコロナによってもたらされる日常生活への影響は、少なくて済むのではないかと思っています。コロナ騒動以前も野菜を相手に、それこそ丸一日、誰人と会うことなく暮らしていた訳ですから、呑気なものです。旅行ができないのも苦にならず、出費も少なく済んで、これ幸い。日々、慎ましく暮らせます。

 

小豆の収穫期間は長く、2か月間ほどかかった
小豆の収穫期間は長く、2か月間ほどかかった

 そんな私が農閑期となった今、大根や白菜、からし菜などの収穫と漬け物づくりや、大豆や小豆(あずき)の脱穀と天日干しの作業などです。なかでも今年初めて栽培した小豆は、まずまずの収穫でした。小豆の品種は、古くから宮中及び幕府に献上されたという、あの有名で高級な“丹波大納言”。そもそもは妻が「餡子(あんこ)が食べたい」というので、ならば小豆の中で最も大粒で美味、丹波地方(兵庫県・京都府の一部地方)で栽培されている小豆の種(タネ)を仕入れ、今年6月に種を蒔きました。

  それから5か月後の11月、大納言小豆は自然がままに育ち、大きな鞘の実を沢山、点けました。初めて作った野菜なので果たして、どのよう栽培管理をすればよいのか? 解らなかったのですが、追肥や土寄せなど栽培上、特別な世話をすることもなく順調に育ったようです。予想以上に収穫できたので、東京のお客さんへ出荷販売したり、お歳暮代わりに親戚や友人へプレゼントとして贈ることもできました。

  さて小豆と同じように、今年、初めて種から栽培したのが茄子(山形子ナス)、トマト(桃太郎)、唐辛子(鷹の爪)です。小茄子は毎年、友人を経由して山形の農家から植え苗を取り寄せていたのですが、その苗が手に入らなくなったので、ならば自力でと東北の種苗メーカーからタネを購入、今年3月、自宅の部屋の中に小さな温室を構え、その中で茄子に加えトマトと唐辛子の苗を育てたのです。このうちトマトは梅雨の長雨で多くが腐り果ててしまいしたが、小茄子と鷹の爪は無事、成長して出荷販売するまでに至りました。

 

  そんな農作業の今年1年が終わろうとしています。そして私の頭の中では、「来年は小豆の作付けを2倍に増やそう、或いはトマトはもっと強い苗づくりを心掛けよう」など、ああしよう、こうしようと野菜栽培の計画を練り始めております。その計画が思い通りに進むのかどうか、より良い成果が得られるのかどうか分かりませんが、農業に携わって15年、これまで失敗して得た教訓を嚙み締めつつ、また来年に向けて高品質の野菜作り、適格で能率の良い栽培管理など、より完成度の高い農業に取り組んでいこうと思っています。

  どうか来年は、コロナの脅威を少しでも払拭し平穏な暮らしが取り戻せるよう、人々が明るく楽しく話し合い交流できる年となるよう祈ってやみません。

 

2020年 処暑

         黄金色に染まった里山の田園
         黄金色に染まった里山の田園

 今年の夏は梅雨入りが宣言された後、いつまでも降り止まぬ雨が20日以上続いたかと思うと、今度は梅雨が明けてから毎日、雨の一滴も降らないカンカン照りの猛暑の日々が続きました。この極端から極端の天候に農作物の成長は芳しくなく、特にナス、トマト、スイカ、オクラといった夏野菜たちは不良、不作の夏となりました。

 今年、初めて種蒔きに挑戦し、なんとか苗まで育てあげ植え付けたナス(サファイヤ小ナス)とトマト(桃太郎)ですが、雨にたたられた7月は実の成りが悪く、ナスの皮は穴が空いたり茶色にすすけたり、トマトは実を点けても一向に赤く熟さず、あげくに動物にかじられ青い実のまま地上に転がる有様でした。スイカ(マダーボール)はろくに花が咲かず、だから受粉もしないので実ができず、オクラ(ダビデの星)も同じく、気温が低く梅雨が長かったためか、きれいな薄黄色の花を咲かせても実は成らず、収穫量は昨年の三分の一以下の状態でした。

 そんな中で良くできたのはメロン(プリンスメロン)、トウモロコシ、キュウリくらい。これらは売り物ではなく当家で消費する野菜ですが、いずれも有り余るほど実って近所や知り合いへも配るほどでした。長雨の中、メロンなどがなぜ豊作だったのか、その訳は判りません。トウモロコシは毎年、動物にそのほとんどが食べられるのですが、今年は雨の中、盗人はなかなか登場せず、そのお蔭で毎日のように美味しく食べられました。

 梅雨が明け8月に入ってからは日照時間がグーンと増えるにつれ、ナスもトマトもオクラも例年通りの収穫量に戻り、オクラはお盆を過ぎた今もなお沢山の花を咲かせて良い実を付けるようになりました。また秋の収穫を期するためお盆前に一旦、剪定して枝ばかりとなった小ナスが、今また枝葉を広げ薄紫色の花を着け始めています。昔は「秋ナスは嫁に食わすな」と云ったくらい旨い秋ナスの実りに期待しています。

 そしてこの夏から新たに隣地の畑一反(300坪)が、わが農園に加わることになりました。私の農業の師匠ともいうべきトダさんが、高齢のため耕作地を縮小することになり、私の農園と隣り合わせの農地を譲ってくれたのです。そこで、旧盆が過ぎると新たな畑に石灰や堆肥を全面散布、耕耘作業に入りました。この新畑には大根や白菜などの冬野菜と、さらに来年に向けニンニク、タマネギ、ソラマメなどを栽培していきます。

 こうして梅雨を経て夏から秋へと季節が移行する中、時には鍬持つ手を休めてサイクリングに出掛けています。今や涼しく爽やかな秋の風に吹かれての里山サイクリングです。相変わらず陽射しは強いけれど森や林や田んぼを巡って吹いてくる風は心地よく、ペダル&クランクの回転も快適です。澄み切った青空の下、田園はすでに実りの秋を迎え、いよいよ稲刈りを待つばかり、うなだれて黄金色に輝く稲穂がさやさやと風に揺れています。

 しかし、これからは恐ろしき台風シーズン。昨年はあの憎き台風15号によって屋根瓦が吹き飛ばされ、杉の大木が倒壊し、挙句に断水と停電が2週間ほど続くなど、房総半島一帯が傷めつけられたことを、今だ鮮明に記憶に残っています。梅雨の長雨で眉をひそめ、猛暑の盛夏では汗水垂らしオロオロ過ごしてきたけれど、これからは風水害に備える時節となったのです。日本では新型コロナウィルスの感染が若干、弱まりつつあるようですが、まだまだ油断はできず、台風とともに今秋に向け私たちは改め気持を引き締めていかねばなりません。

 昨年の春、私が予感した通り、“令和”の時代は、不気味な様相を暗示しています。

新たな畑に牛糞たい肥2トンを散布
新たな畑に牛糞たい肥2トンを散布

2020年 芒種

掘り出した大蒜は、まず畑の土の上で3日間、天日干しにする
掘り出した大蒜は、まず畑の土の上で3日間、天日干しにする

 6月11日、関東甲信越地方が梅雨入りしました。昨年より4日遅い入梅です。桜の開花時期をみても分かる通り今年は季節が昨年より早めに進んでいたのに、梅雨入りが昨年より遅れたということは、その分、五月晴れのお天気が長続きしたとも云えます。お蔭で5月はたっぷり畑仕事が出来ました。また、新型コロナ感染症による外出自粛の要請もあってか、もっぱら自宅と農園を行き交う日々が多かったようです。

 5月に入ってから梅雨入り直前までの農作業をざっと申し上げると、当農園の看板野菜であるオクラ「ダビデの星」、南瓜「すくなカボチャ」の播種(種まき)、薬草野菜「雲南百薬」の栽培管理(蔓の誘引、摘心、下葉処理など)、それに3月初めから種まき~育苗してきた茄子「サファイヤ小ナス」、トマト「桃太郎」、唐辛子「鷹の爪」の植付け、種苗店から購入した小玉西瓜「マダーボール」やメロン「プリンス」の植付けと蔓の整枝、さらには生姜「近江ショウガ」や薩摩芋「安納芋」の苗の植付け、妻の要望で今年初めて種まきをした小豆の名品「丹波大納言」の播種など、草取り作業も並行しながら続けてきました。

 そして5月下旬から6月上旬にかけて行ったのが、大蒜(ニンニク)と玉葱、馬鈴薯「インカの瞳・北あかり」の収穫です。玉葱と馬鈴薯は自家用とお得意様へ一部、販売する程度なので少量生産ですが、大蒜は約1,600株を植付けたので収穫作業も大変で、掘り出しから天日干し、根切り・枝切り、収納・乾燥に至るまで、妻にも手伝ってもらいました。乾燥は今なお続いていますが、幸いお天気に恵まれての作業でしたので、例年より楽に進みました。しかし、今年の大蒜の出来栄えはというと、いまひとつ芳しくなく、売り物として出荷できるのは半数くらいとなりました。

「出来が悪い! やはり春先に病気にかかっていたようだ」

 収穫する前から大蒜の葉の様子を見ていて、だいたい判っていました。葉先が黄色く枯れてしまう伝染病によって成長が止まり、根の球(子球)の分球が充分、進まなかったようです。その結果はいざ掘り出した段階ではっきりと判り、球が割れていたり成長が不十分なものまで含めざっと600本くらいになるでしょうか。一方、出荷できる分は結構、形も品質も良く、まずまず例年並みです。ちなみに昨年は1,800株のニンニクを栽培し、豊作でしたが、収穫後に梅雨時の長雨にたたられ、特に大玉(Lサイズ)の大蒜に腐敗が進みました。その結果、お客さんからクレームがつきました。

 まあ農業って、上手くいったり上手くいかなかったり、五分と五分の戦いなのです。農業を始めた当初はやたら高品質の栽培と豊作を願っていたのですが、工業製品ではありませんから完璧な成果を求めることは無理だと解りました。むしろ最近は悪くても当たり前、良くてもたまたまよく出来ただけと思うようになり、今や必要以上に悲しんだり喜んだりすることもしません。ただ自分の出来る範囲と実力で、淡々と農作業に精を出し、その過程で天候に左右され動物や病気に侵されても、その結果として得られた作物を天の恵みとして素直に受け取るだけです。

 関東甲信越が梅雨入りした翌日、沖縄地方は平年より11日早く梅雨が明けました。随分と早いですね。この分だと関東も夏が早くやってくるかもしれません。でもその前に大豆の種まきと安納芋の2回目の苗の植付け、玉蜀黍(トウモロコシ)や冥加(ミョウガ)の収穫も控えており、加えて梅雨の時節に本格化する雑草との戦いが待っています。この戦いは五分という訳には参りません。トラクターや刈払い機、数種類の草取り鎌などを総動員して、徹底的に草刈り、草取り、草むしりをやります。

 別途、新型コロナ・ウィルスと戦っておられる方々に、心から敬意とお見舞いを申し上げます。

 

2020年 春分

 今年の春は新型コロナ・ウィルス感染症という流行病(はやりやまい)が世界的に広がり、沢山の人々が重症化あるいは死亡という最悪の事態に陥っています。街からは人気が去ってしまい、また何処へ行こうにも店舗や施設も閑散として、さすがに淋しい気持になってしまいます。従って私も自粛生活(巣籠り)を余儀なくされ、今後とも人の集まる場所へ出向いて食事をしたり、囲碁を打ったり、プールで泳いだりなどということは、しばらく控えることになりそうです。

 何とも恨めしい日々が続く昨今ですが、それはそれとして、この2月~3月にかけて私なりに精を出し始めたのが読書や原稿を書くことでした。読書は近代文学の作家や評論家の著書をぱらぱらめくったり、原稿はこの『ふーみん農園』の「天地逍遥」や、私の著作集である『萬葉』の中で執筆を中断したままだった「西伊豆紀行」を書き足したところです。

 次いで始めたのが、ほぼ2年振りのサイクリング。倉庫で眠っていた自転車を引っ張り出して田舎道を走り出しました。毎日のように通っていたプール&ジムが閉鎖されたお蔭で運動不足に陥っておりますから、その分、自転車に乗ってひと汗かこうという訳です。強い風も止んで、お日様が照ってポカポカと温かい日を選んで、のんびり里山の界隈を走っております。

クルマで10分ほどにある日帰り温泉
クルマで10分ほどにある日帰り温泉

  そのほかは、妻と共に近くの日帰り温泉で湯浴みするなど、これまたのんびりと静かな半日を過ごすこともあります。この日帰り温泉は新しい分、知名度が低いうえに場所も不便なので、休日以外ならば利用客は少なく、それだけゆるりと温泉に浸かれます。畳にして40畳ほどの露天風呂には大きな岩があちこちに置かれていますが、その岩にもたれて寛ぐ客は平日の昼間ならば2~3人ほどです。

 こうして感染症予防のお手本の通り、密閉空間を避け、密集する場所に留まることなく、人と密接や密着の機会に遭遇することのない日々を送って、桜の花の季節を迎えました。これまで農作業は天気の良い日を見計らってぽつぽつ始めていましたが、お彼岸の頃、かねて頼んでおいた堆肥6トンが新たな畑地に搬入され、いよいよ今年の野菜作りの第一歩を踏み出したところです。 

 早速、石灰を播いてトラクターで耕耘、そして畑全面に堆肥を散布したうえ再び耕耘、さらにこれから畝をつくって宿儺南瓜(すくなカボチャ)をはじめ大和芋(ヤマトイモ)、小豆(アズキ)、大豆(ダイズ)などを作っていく予定です。一方、昨年から栽培している大蒜(ニンニク)や玉葱(タマネギ)は順調に育っており、3月中に植え付け或いは種播きした馬鈴薯(インカの目覚め、北あかり)や玉蜀黍(トウモロコシ)、小茄子(コナス)なども、ようやく芽を出し始めました。

“暑さ寒さも彼岸まで”の言葉通り、暖かくなって農作業がやりやすくなった今日この頃、さあ、これからは畑仕事に精を出しましょう。昨年9月の台風にもめげず、今のウィルス病にもへこたれず、今年も農作物が実り豊かに育つよう頑張らなくてはなりません。 

これで農園の畑の面積は約1,500坪(5反)となった
これで農園の畑の面積は約1,500坪(5反)となった

2019年 立冬

    解体の初日、まずは小屋の壁板をすべて剥がした
    解体の初日、まずは小屋の壁板をすべて剥がした

 立冬を迎え、旧畑の一番奥の片隅に建てていた小屋を解体することになりました。小屋の屋根が今年の台風の風で吹き飛ばされたのではなく、また小屋の板囲いの材木が古びてしまった訳でもありません。今年でこの畑での野菜の栽培をお終いにして、お借りしている畑地を地主さんへ返すからです。なので、これまでに収穫を終えた南瓜(すくなカボチャ)の蔓や葉を始末し、夏場に伸びた雑草の刈取りを行い、トラクターを収納していたビニルハウスも片付けて、いよいよ小屋を取り壊すことになったのです。

 小屋の解体作業には、小屋を建てる際に手伝ってくれた友人に助太刀を依頼、二人で丸2日間をかけて行いました。そう、数十枚の壁板や屋根のスレートをはがし、床や屋根に張った板や垂木を取り除き、高さ約3メートルの柱を倒し、基礎の石と土台の柱を切り分け、最後に小屋の下に敷いていた除草シートも剥がすなど、まさしく跡形もなく解体しました。

 小屋を建ててから10年、すなわち、この畑で野菜作りを始めてから10年の歳月が経ったのです。思えばこの間、良いことも悪いことも、いろいろありました。作物で言えば、大蒜(ニンニク)と南瓜、オクラ(ダビデの星)などの栽培に薀蓄(うんちく)を傾けつつ沢山、失敗を重ねたあげく、私なりの栽培法や管理手法を獲得することができ、天候の不順や台風などの自然災害が発生しない限り、良い品質の野菜づくりが出来るようになったのです。やはり農業は失敗を恐れず、時間を掛けて取り組んでいくものと、改め認識した次第です。

取り壊した小屋の木材を燃やしながら、その燃え上がる炎の中に、この10年の間にお会いした農家の方々の顔や、あるいは鳥や獣たちの姿が映ります。私がこの畑を借りた頃は、近隣に3軒の農家のご夫婦がおりましたが、そのうちすでに3人が亡くなり、残りの3人も高齢で身体が不自由となり昨年には農作業を止めてしまいました。ですから今は、腰を曲げて畑の中を歩く彼らと出会うことはないし、時折、挨拶を交わしながら収穫物を交換する時に見せる笑顔に見ることもありません。

 その点、動物たちは相変わらず、この畑にやってきます。今年の冬に初めて現れた猪の群れ、収穫前のスイカやトウモロコシを残さず食べ荒らしたアライグマやタヌキ、ハクビシン、大豆やキャベツの若芽を摘まむウサギ、夕焼け空に舞うカラス、畑の枯草に隠れるようにして卵を産みつけるウズラやキジ、そして12年前に亡くなった母の化身のごとく畑の土の上でじっと私を見詰めていた山鳩(この話は天地逍遥~2015年文月、鳥の詩と題し掲載)など、その姿が改め思い起こされます。

 さまざまな人々や動物たちとの出会い、そして畑を巡る森と畑を覆う大空に囲まれ、私はこの10年間を多くの作物の恵みと共に過ごしてきたのです。

 ありがとう、この畑でお会いした皆さん! そして、大自然の恵みに感謝!

 

 

2019年 白露

     堂々と畑に横たわった杉の木
     堂々と畑に横たわった杉の木

 いやはや、このたびの台風15号は見事なまで、私ども関東人に台風本来の威力を見せ付けてくれました。狙いを定めたかのように東京湾を北上、風速40m~50mという猛烈な風を吹かせながら、一夜にして神奈川、東京、千葉の南関東を射抜いて海上へと抜け去ったのです。まさに弾丸のごとき威力でした。夜明けが近づく頃から家屋のあちこちからきしみ音が聞こえ、やがて家全体がガタガタ、ゴトゴトと鳴り響き、寝床で揺られている思いでした。

 やがて振動が弱まり、雨音も静かになった頃、寝床から起き出した私は雨戸を開け、窓から見える外の様子を見回しました。樹木の枝や葉が庭に散乱しています。農業のビニルハウスはほぼ全壊でしたし、農具類を保管しているハウスのビニール屋根が飛んで、ぽっかり横広の大きな穴が空いていました。さらに、自家製の味噌などを貯蔵する倉庫の屋根が一枚、スレートともに飛び散っていて、その空いた天井から雨水がたっぷり振り注いだようです。

 台風が通過した直後から、ここ極楽寺界隈のみならず千葉県内の幾つもの市町村が停電となり、加えて翌日からは上水道の供給が止まり、多数の店舗のドアに「休業中」の張り紙が貼られました。幸い当家は電気も水道(井戸水)も使え、不自由のない生活を送っていますが、周囲の道路の至る場所に樹木が倒壊、交通止めとなり、停電の為どこまで行っても交通信号は点灯していないし、食料品の買い物はままならぬ状態となっています。

 庭一面に散乱したゴミ、不用品などの片付けが一段落した翌日、さて次は畑がどうなっているか? 恐る恐る行ってみました。すでに聞き及んでいて、極楽寺界隈ではあちこちで倒木により交通が妨げられているとのことで、四輪ではなくオートバイで新畑へ向いました。案の定、大きな栗の木の下に設置していたビニルハウスは、その骨組みこそ残していたものの屋根のシートは飛び散り、ハウスの中の農器具がほとんど水浸し、すべて一から補修しなければならない状態でしたし、栽培中の野菜の多くは台風の強烈な風に叩かれ、オクラ(ダビデの星)やナス(山形小茄子)、ピーマンなどの枝葉は皆、打ち倒れておりました。

 そして台風通過の3日目の朝、南瓜(すくなカボチャ)を栽培している旧畑へオートバイを走らせたところ、幾つもの倒木と吹き飛んだ杉や檜の枝葉で進路が阻まれました。ともあれ畑の様子を見ようとオートバイを止め、途中から徒歩で向かったのです。南瓜は目が覚めるような美しさで、沢山の黄色の花を咲かせていました。しかし、小屋の裏手の杉の大木が倒れて一部が屋根に架かっている始末、改め台風の威力、その凄さを感じたのです。

 台風一過、5日間に亘る私単独の復旧作業は一段落、お蔭で倉庫やハウスの掃除、片付け、清掃ができました。これから農園内に四散したゴミの始末や伸びた雑草の草取り、倒れた野菜の後片付けが待っています。さらに大豆(青豆)の土寄せ、落花生(大まさり)や冥加(ミョウガ)の畝の草取り、そして大蒜(ニンニク)栽培の畑づくりを進めなければなりません。やはり農業は多大な徒労の積み重ねだと、散乱したガラクタを拾い集めながら、つくづく思いました。

 いまだ停電と断水に見舞われている近隣の方々にお見舞い申し上げる次第です。

何事もなかったかのように、南瓜は一面に黄色の花を咲かせていた
何事もなかったかのように、南瓜は一面に黄色の花を咲かせていた

2019年 芒種

   今年は1800本を栽培、まずまずの出来でした
   今年は1800本を栽培、まずまずの出来でした

 梅雨の時節がやってきました。二十四季節のうちのひとつ、田んぼに稲の苗を植える時期を意味する“芒種”の翌日6月7日、関東地方が梅雨入りしました。あらかじめ雨が降ることは天気予報で知っていたので、その前に大蒜(ニンニク)の収穫スケジュールを立て、4日に全量を畝から抜き取った後、2日~3日間、畑に寝かせ置きました。晴天が3日続いたお陰で、梅雨入り前の収穫作業ができたのです。

 久し振りに沢山の大蒜が収穫できました。ここ数年の間、作っても作っても風伝染によって葉が枯れたり、葉に赤サビがついて成長が止まり、作付けの半分、あるいは三分の一程度しか収穫できなかっただけに、本当に嬉しい収穫でした。大蒜の色や形もまずまずの出来具合でした。でも、喜んでばかりはいられません。梅雨の時節のじめじめとした湿気が、大蒜をカビさせたり腐らせたりするからです。

 振り返ってみると、大蒜は私が農業を始めてから一貫して栽培してきた野菜です。15年前の市民農園から作り始め今日まで作り続けてきました。当初の2年は中国産の種(タネ)を作付けしましたが、その後は主に“青森・岩手六片=ホワイトろっぺん”を栽培、近在の農家や農業関係者から褒められる大きな大蒜を作ることに成功しました。

 しかしホワイト六片は北国の品種ということもあって、暖かい極楽寺での作付けは時にして上手くゆかず、収穫後の乾燥過程で多くの球が割れたり腐ったり、或いは成長過程で伝染病に侵されたりしたのです。赤サビ病という、大蒜が最後の成長段階で葉の表裏に赤い鉄粉のようなものが付着して、ほぼ1週間ほどで作付けしたすべての大蒜に伝染します。もうそうなると、大蒜の球は成長を止め立派な球は取れませんし、十分に育っていませんから自ずと腐り果てたりします。

 大蒜は前年の夏に高価な種を仕入れ、沢山の肥料を投入して畝をつくり、秋にひとつづつ植え付けし、寒い冬を過ごし、春3月~4月頃に球が肥大、5月頃に収穫期を迎えます。つまり種の準備を始めてから収穫まで10カ月の歳月を掛けて栽培する訳ですが、それが成長の最後の段階で病気に侵されると、前年夏から半年余りの労力が空しくなってしまうのです。

 このため数年前から“上海早生=シャンハイわせ”という品種に栽培の力点を置き換えております。シャンハイというから、評判の悪い中国産の品種に間違われやすいのですが、そうではなく主に四国や九州地方で栽培されている国産品種です。球がしっかりと固く品質も安定しているので保存も良く、ニンニク醤油や味噌ニンニクなどとして幅広く利用できる大蒜と言えるでしょう。結構、辛みが強いので、もっぱら自分の好みとして10年ほど前から栽培していましたが、今やこの品種が当農園のメインの大蒜となりました。 

 大蒜のほか、蚕豆(ソラマメ)、玉葱などの収穫を終え、これから馬鈴薯(インカのめざめ、北あかり)や茄子(子ナス)、トマト(桃太郎など)、西瓜(小玉スイカ)、メロン(プリンス)、オクラ(ダビデの星)など夏野菜の収穫へと季節は移っていきます。

 

2019年 春分

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる通り、寒さが和らいで梅の花や辛夷(コブシ)が真白な花弁を咲かせ、染井吉野の開花の便りも聞こえる頃となりました。今年も春がやってきたのです。すでに雉も叫び声を上げ、鶯も藪のあちこちで鳴き始めています。

 「亥」の年の今年、正月に登場した猪どもは、畑の端に捕獲の檻が設置してから約50日余も経たものの、いまだ一頭として捕まらず、その後も何度かやって来ては畑の土を掘り返しております。春が来たとはいえ、まだ食べる物が少ないからでしょう。ともあれ猪を気にしていては、どうにもなりません。一刻も早く、春の農作業を始めなければなりません。

 例年ならば、今頃は草取りから始めて、春に栽培する野菜畑の耕耘をしたうえで、馬鈴薯(インカのめざめ)の種の植付けも終えている筈だし、また今年は旧農園で栽培していた雲南百薬(ウンナンヒャクヤク)や冥加(ミョウガ)などを、昨秋から借りた新農園へ移植する作業も急ぐ必要があります。でも、それら諸準備は、思うように進んでいません。

 それというのも、2月初旬から私は両眼の“白内障”の手術を行い、そのため畑仕事が出来ない状態が今日まで続いていたからです。手術そのものは当日で終わりますが、その前後に検査や目薬治療が続き、またその間の入浴制限や労働、運動、飲酒などが控えられてきたためです。おかげで睡眠が思いのままならず、腰痛もぶりかえすなど体調不良の状態となっております。

 しかし、良いことがひとつあります。白内障の手術の結果、目が良く見えるようになったことです。当たり前と言えばそれまでですが、両眼を見開けば杉の森も竹の林も、田園も目に映る景色全体がくっきり、はっきりと裸眼のまま見えるのです。今までぼやけて見えていた樹木ですが、その一本一本の姿形が明らかに、さらに樹木と樹木の間隔が明確に分かります。

かつて10m先の人間の目鼻立ちは霞んだ状態で判断できなかったのですが、それが今は良く見ることが出来ます。やや遠く離れた電柱の上部に取り付けられた細かな端子類も、その一つひとつが数えられるほどです。視線を近場に置くと、書棚の文庫本の背表紙の文字(タイトル)が眼鏡をかけることなく読めますし、自分の右目の下に3つの雀斑(そばかす)があることも手術後に発見しました。

 私は50歳代前半に眼科医から白内障の兆しが指摘され、以来20年でピークを迎えるという眼の障害と付き合ってきたのですが、こうして今回、手術の成果を踏まえ、よくもまあ長い間、ぼんやりと霞んだ世界で暮らしてきたものだ、と思わざるを得ません。この間、眼鏡を幾つも買え替えてきました。かつて視力は0.2~0.3ほどでしたが、手術後は0.6~0.7まで回復しました。目の中に収めた人工レンズのお蔭ですが、真にもって有難いことで、これで畑仕事も進みそうです。

 術後2週間を経て彼岸入りとなった春うららの日、暖かな陽射しを受け大蒜(ニンニク)や蚕豆(ソラマメ)の畝の草取りを終えるとともに、新たに雲南百薬や馬鈴薯、玉蜀黍(トウモロコシ)などの耕耘を始めました。それら野菜の姿や畑の景色は今までとは違い、色彩も鮮やかにくっきり、はっきりと私の目に映ります。久し振りに野良仕事をする喜びを噛み締めながら、晴れやかな気持で彼岸の空を見上げました。

 

2019年 大寒

    猪は、あの森の奥から、やって来た!
    猪は、あの森の奥から、やって来た!

 一年を通して最も寒い季節を迎えた大寒の日、今年初めての畑仕事に出掛けました。大寒なのに今日は風も穏やか、お日様は燦々と注いでほっこり暖かく、冬場の畑仕事で着るジャンバーも一枚、脱ぐほどでした。昨年末に蚕豆(ソラマメ)の親茎を切り落して以来、ほぼ一ヶ月振りの作業で、小蕪(コカブ)の収穫や蚕豆畝の草取りを行いました。

  昨年は正月6日に、畑のあちこちに積み上げた雑草や野菜の葉茎を野焼きしたのですが、今年は例年より寒いうえに風の強い日々が続いたため、農作業を今日まで見合わせていたのです。でも、その間、積まれた草は良く乾いたようで、特に薩摩芋(安納芋)の畑に積んだ芋蔓は、あっという間に燃え上がりました。

  ところで、その芋畑ですが、写真のように土が盛り上がっていたり大きく凹んでいたり、つまりボコボコしています。正月になって二三度、見回りに来た時も、確かそうなっていました。でもその時は、寒さ故、霜が降りた所為で土が隆起したものと、勝手にそう決め込んでいたのですが、改めて見て、どうも霜のいたずらではない、と気付いたのです。

「そう! これは猪(いのしし)の仕業に間違いない」

  猪でなければ、こんなに畑の土が隆起する筈がありません。昨年の秋に私たちが掘り出した後、土の中に残っている薩摩芋を、猪が食べに来たに違いありません。とうとう猪が、私の畑にも現れたのです。それで前回、畑へやって来た時に、何気なく見過ごした大きな足跡の正体が分かりました。

  思えば昨年の今頃、地元・猟友会の鉄砲撃ち(ハンター)で近所の山林へ出掛けては猪を捕える檻を仕掛けているトダさんが発していた言葉を思い出します。それは猪が、直線で3キロ余り先の山中から高速道路を越え、こちらの里までやって来て、介護施設の残飯を食い荒らしているとの話でした。しかし、それから猪が現れたとか、猪の足跡を見たとかの話を耳にすることはなく、私も猪のことはすっかり忘れ去っていました。

  畑の敵がまた一頭、ハクビシン、タヌキ、アライグマなどに加え登場したのです。まさしく「亥年」に相応しい年となりました。これは安閑としてはいられません。とはいっても、農園の周囲を網で張り巡らすなどということは、労力もさることながら経費も嵩むので、とても出来ません。せいぜい獣の好む野菜を作らないということでしょうか。今年は現在の畑を閉めて、新たな畑を拡張しつつ、そのために雲南百薬(ウンナンヒャクヤク)や冥加(ミョウガ)、韮(ニラ)、浅葱(アサツキ)などの野菜の根っ子の移し替え、移転を進めなければなりません。結構、労力を払う年となるでしょう。

 

  そして今年は天皇の譲位に伴い平成が終わる年。私は新たな元号に「明」とか「光」の漢字が使われるのではないかと、勝手に想像しておりますが、いずれにせよ新たな元号の時代がどのような社会へ変化していくのか? それが私たち日本の多くの人々にとって喜びに満ち溢れた幸せな時代を招来するものとなるのかどうか? 不安と期待を抱きつつ、情勢を見守っていこうと思います。

 今年も“ふーみん農園”のお客様、関係者の皆様にとって良き年となりますよう祈念し、新年のご挨拶とさせていただきます。

大寒の日の畑
大寒の日の畑

2018年 秋分

大蒜の作付けを行う新しい畑に石灰を散布した
大蒜の作付けを行う新しい畑に石灰を散布した

  チャーミー(Trami)と呼ぶ名前は可愛いけれど、大型で強力な台風24号が夜中に通過し、朝起きてみると青空の下に幾つもの白い雲が、吹き返す南の風に煽られるかのように飛び散っておりました。台風が過ぎ去った空の景色は、思えば子供の頃から何度も見てきましたが、いつもながら野分の後の秋の風情には、しみじみとした気持になります。風雨が静まって良かったという思いと、草木や木の葉が飛び散るなど周囲の景色が一変してしまった感がつのるせいかも知れません。

 思い返せば、子供の頃は台風が過ぎ去ると、それ! とばかりに常日頃、狙いを定めていた近所の栗の木の下へ走り、強風で周囲に転がり落ちた毬栗(いがぐり)を拾い集めに行ったものでした。そんな幼心を思い返すがごとく、私は妻ノーリンと朝起きて間もなくクルマで、大きな栗の木がある場所へ向いました。すなわちその場所は、今秋から新たに借りた畑で、栗の木はその傍らに立っております。

 新たな畑は、大蒜(ニンニク)や玉葱(タマネギ)、蚕豆(ソラマメ)など越冬する野菜栽培のために借りたもので、およそ250坪ほどになります。この極楽寺界隈では大地主の方から借り受け、9月から土づくりを進めてきています。栽培する野菜は大蒜がメインですが、すでに石灰類を160㎏、鶏糞堆肥を2t余り投入し、耕耘作業と畝づくりを行い、あとは種を植え付けるばかりとなっています。わりと陽当たりが良いので、冬場でも苗が凍り付いてしまうことはないだろうと期待しています。

 それにしても今年の冬は極めて寒く、蚕豆に至っては日々の霜の強さで葉茎が真っ黒になって畝の上で倒れ伏し、青葉がなくなってしまった状態になりました。ほとんど全滅と言ってもよい状態でしたが、やがて春の訪れとともに株元の脇から葉茎が伸び、播いた種のうちの半数ほどが育っていきました。それでも収穫時には10株余りが実を点けた程度、毎年、買ってくださるお得意さんへ送るほどの収穫量にはなりませんでした。大蒜も玉葱もしかり、収穫量は植え付けた種の半分以下となり、いずれも冬の寒さが生育を妨げたようです。

 そして今年の冬も経験則によれば、おそらく厳寒の気候になるのではないかと推測します。その冬に対処するためにも、新たに陽当たりの良い畑を借りることにしたのです。新しい畑は、現在の農園よりも自宅から半分ほどの距離なので、物資の運搬もその分、楽に済みます。栗の木もあり、お茶の木も並んでいます。畑の周囲は竹林が連なっており、来年の春にはきっと筍も掘れるでしょう。この新しい畑を来年以降には徐々に広げていって、ふーみん農園の主たる畑にしようと思っています。

 

2018年 大暑

     畑の半分の面積が太陽光パネル基地となった
     畑の半分の面積が太陽光パネル基地となった

 久し振りに雨が降りました。小型ながら強い台風12号が伊豆諸島から関東、東海地方を目掛けて北上し、ついに今日、朝から風を伴い襲ってきたのです。3週間ぶりの雨となり、すでに乾し上ってしまった畑の野菜たちも、これで一息つくことでしょう。畑にとっては有難い雨ですが、しかし台風がもたらすものは先般、西日本各地で起きた豪雨による大洪水、山崩れなどによる生命の危機、家屋の倒壊など多大な被害です。

 それにしても、今回の台風の進路が通常とは真逆のコースを辿ったり、そもそも関東甲信越の梅雨明けが6月下旬と異例であったり、今年の気象は大分、狂っているとしか言いようがありません。しかも梅雨明け以降、真ともに雨が降ったのは大豆の種を播いた7月上旬にたった一日だけ。それ以降は昨日まで猛暑が続き、連日、35℃以上の気温が全国各地で記録されました。気象庁が観測史上、最高値の41.1℃という高温を埼玉県熊谷市で記録したのは、つい数日前のことです。西日本の豪雨に呑み込まれた犠牲者の方々に加え、余りの暑さで熱中症にかかり救急搬送されたり死亡された方々の報せを聞き、この異常な気象現象に驚きと戦きを覚えます。

 その大きな要因は、言わずと知れたCO2(二酸化炭素)濃度の継続的な上昇が海面水温の上昇をもたらし、結果として地球全体の温暖化が進行していることにあります。この進行を私たち人類は知恵を絞り、なんとしても食い止めなければなりません。そのために風力や波力、地熱、太陽光、バイオマスなど自然エネルギーの活用が望まれていますが、果たしてそれだけで人類が消費するエネルギー量を確保できるかどうか、疑わしいのも事実です。例えば太陽光発電は私が知る限り40年以上も前から、その技術革新と実用化が提起されていた筈ですが、十分な進展は見られませんでした。

 でも最近になって、ここ極楽寺界隈では太陽光パネルの建設があちこちに進められています。年老いて農業から離脱した農家が農地を手放し、あるいは開発業者に農地を貸与した結果、かつては人参や牛蒡や落花生を栽培していた畑が一面の太陽光パネルの基地に変貌しているのです。現に私の家の前の丘陵地は、森林をなぎ倒して一面の太陽光パネルが設置されており、また新たに、太陽光発電基地を建設するため土砂を運搬する大型ダンプカーが自宅前の通りを頻繁に行き交っています。それもこの暑いさ中、5分~10分間隔で、朝から夕方まで日曜、祭日は除きすでに2週間以上、土砂を掘り起こし太陽光基地へ運搬しているのです。自然エネルギーという環境保全を求めながらも、代わりになんという自然破壊が進んでいることか!

 高齢化による農地の放棄と太陽光基地の建設、これは異常気象と同じような現象とも私には思えます。30年に一度と言われる今回の異常気象ながら、いずれは異常が日常、平常となって、気が付いた時は地球の自然がもろともに崩壊していくかも知れません。農業が自然環境と乖離していく姿が目に見えるようです。

 

2018年 清明

 里山のあちこちに桜の花が咲き乱れる春爛漫の季節となりました。今年の冬はいつになく寒かったのに、あれよあれよという間に辺りはぽかぽか陽気に包まれ、何のことはありません、例年になく桜は早咲いて、その桜前線も足早に走り去ろうとしております。

 そしてこの頃、畑仕事もいよいよ本番を迎えました。これまで、厳寒の冬を越してきた大蒜(ニンニク)や玉葱(タマネギ)の追肥などを行ってきたし、また3月には馬鈴薯(インカ

 

           森の中を吹きf抜ける春風に、畑の山桜も散り始めた

のひとみ、インカのめざめ、北あかり)や宿儺南瓜(すくなカボチャ))の植付けも終えたところですが、これからは胡瓜(キュウリ)や茄子(ナス)やトマト、オクラ(ダビデの星)、生姜など夏野菜を栽培するための畑づくり、畝づくりを開始します。

 そうした農作業の中で、やがて植付けた野菜たちが元気にすくすくと育つ初夏を経て、やがて額に汗をぬぐいながら収穫作業に追われる暑い夏の季節がやって来るのです。そんな毎年の繰り返しの始まりに二十四季節うちのひとつ、清明(せいめい)という私の好きな季節を迎えました。

 漢字が示す通り、清明とは清く明るいという意味です。モヤモヤとした春の霞も晴れて空気は澄み渡り、気温もほど良く頬を撫でる風はさわやかに、身も心もすがすがしい気分になる、そのような時節となります。花で賑わう時を過ごした後、心を澄ませて自然の美しさ、豊かさの中に我が身を置く世界でもあります。

 思えば毎年4月13日には、歌人であり詩人の石川啄木の命日を迎え、夭折した啄木を悼み祀る“啄木忌”が営まれるそうです。啄木の歌、その作風は好きではありませんが、それでも詩人の魂を感じる秀逸な一首を、次に紹介いたします。木々が芽を吹き緑葉が燃え出るこの頃、遠く目に映る柳も小さな葉が出揃い、川風にしなやかに揺れそよいでいる、その様を若き詩人の魂は哀しく切なく思ったのでしょう。

 

 やはらかに 柳あをめる

北上の 岸邊目に見ゆ

泣けとごとくに

 

2018年 元旦

 

  静かな元旦の朝を迎えました。昨夜の雨も止んで、庭の木立も陽に照らされ、その枝木の影がくっきりと地上に映し出されています。空も青く晴れあがり、まずは庭先へ出て新春の空気でも吸いたいところです。しかし、起床して洗面を終わると、すぐさま年賀状作りに取り掛かるのが毎年の慣わしで、矢張り今年も寝間着から着替えることもなく、パソコンで刷り上げた年賀状に簡単な挨拶文を書き始めました。

      元旦の畑は寒々としていました

 毎年、師走の暮れから正月の三が日に掛けて作成する年賀状は、パソコンで要領よく出来るとはいえ、文面からデザイン、印刷に至るまで、優に半月以上の時間を有し容易ではありません。それでも今年は例年より作業を早めに始めたこともあって、大晦日には半数以上の年賀状を投函することが出来、本日、元旦は昼過ぎには大半の年賀状が農園のお客様を始め友人、知人の方々に送る段取りと相成りました。

 この年賀状作りも畑仕事がない冬場だからこそ出来る訳ですが、しかまあ、私も歳を取った故、浮世の義理を忠実に果たさずとも世間は許してくれるだろうし、またシーズンオフにこそ、このように農園便りや日誌などをゆっくり書き記す時間も欲しいので、今年の年賀状には「来年以降の年始のご挨拶は欠礼」との旨を認めました。

 そして、ようやく年賀状を郵便ポストに入れ終えてから、またこれも毎年のごとく、森山の上に鎮座する極楽寺の氏神様(三社神社)へと足を運びました。幸い風も弱まり、里山の道辺には赤い実をつけたアオキが、微かに揺れています。境内には人影もなく、小さな社殿は大木の合間から漏れる陽射しに照らされながら、ひっそりと佇んでいました。

 氏神様の参拝を終えぶらりと散歩がてら回り道をして自宅へ戻った頃には、やや陽も傾いて夕暮れが迫ろうとしていました。本来ならこれで私の元旦の行事は終わるところですが、ふっと思い直し、クルマのエンジンをかけて農園へと出掛けていきました。特別、畑仕事があるという訳でもないのにもないのに、元旦に農園へ赴くことは今まで一度も無かったのですが、元旦の新酒を飲む前に、やっぱり畑の姿を見ておこうと思ったのです。

 それというのも、先月12月の中旬に農園の木造小屋の中に置いていた草刈機が何者かに盗まれてしまったからです。小屋の両サイドのドアに掛けていた鍵がカッターのようなもので切断され、2台のエンジン草刈機は見事に姿を消していました。眼の治療で10日間ほど農園へ行かなかった、その間に盗まれたのですが、それからというもの私はほぼ毎日もしくは一日置きに畑へと出向きました。一昨日の30日には畑の片付け作業を終えたばかりですが、どうしても気になるので出向くことにしたのです。

 陽はすでに傾いて森の彼方へ沈もうとしており、日陰となった畑は寒そうな表情で静まっていました。小屋も物置もトラクターを置いているビニルハウスも特段の異常はなく、畑の野菜もいつもの姿のままでした。大蒜(ニンニク)、玉葱(タマネギ)、蚕豆(ソラマメ)、白菜(ハクサイ)、春キャベツなど、この冬を越す野菜たちはどれも霜枯れた様子で元気がなさそうでしたが、あと二月ほど経てば暖かくなって勢いを増すことでしょう。野菜も私も、春を待つより他にありません。

 

2017年 寒露

4日の中秋の名月“十五夜”は群雲の狭間で見え隠れしましたが、2日後の“望月=満月”は、残念ながら雨に降られて見ることが出来ませんでした。雨は夕方から降り始めるとの予報でしたので、その前に収穫終えたカボチャ畑の蔓草、雑草を集め一挙に燃やすことにしました。折角、刈った草が雨に濡れてしまうと、また乾くまで待たなければなりませんので、いつも雨が降る前にやるのです。

こうして毎年、ほぼ一反のカボチャ畑の野焼きが終わると、春から夏、夏から秋へと続いてきた農作業が一段落します。草が燃える煙を見ながら、いつもと変わらす季節に追われ、かつ野菜の生長に追われながら過ごしてきた今年の農作業を振り返りました。

思えば、今年はカボチャ「宿儺南瓜=すくなカボチャ」、オクラ「ダビデの星」、馬鈴薯「インカの瞳」、ナス「山形小茄子」などは豊作でした。特に宿儺南瓜は、作付けを始めてから7年目にして私なりの栽培法をほぼ完成させ、品質、質量ともに満足するレベルのものが出来ました。収穫本数は約500本以上、うち1本3k以上の特Lサイズが8本、2.5kg以上のLサイズが150本ほど、Mサイズが200本余りで、過去最高の出来でした。

さてこれからは、新生姜「おおみショウガ」、薩摩芋「安納いも」を収穫するとともに、白菜やキャベツなど冬野菜の栽培や、そら豆の種まきとタマネギの植付けが待っています。でも今年は、必要以上の作付けは行わず、冬野菜は自家用に白菜を5苗植え付けたほか、カブを少々、これも自分たちが食べる程度に種まきした程度です。もう次から次へと、追いかけられるように色々な野菜を作るのは止めようと思っているのです。

 その分、他にやりたいこと(沢山あって困るのですが)にも手を延ばせるよう、時間的に余裕が持てるような農業を営んでいこうと、ちょいと路線変更をすることにしたのです。それで、畑仕事の合間を縫って好きなサイクリングを復活、秋の陽射しの中、赤く熟れた柿の実や風に揺れる蕎麦の白い花を見ながら里山を走り巡ることにしたのです。6年前も数回、自転車に乗ることは乗ったのですが、結局、畑仕事に追われてサイクリングは続けられませんでした。だから今回は、三日坊主で終わらぬよう、上手に畑仕事とバランスを図っていきたいと思っています。

2017年 大暑

 土用の丑の日の翌日、ここ極楽寺に恵みの雨が降りました。ほぼひと月振りの雨でした。もしも、この雨が降らなかったならば畑は完全に干し上がり、7月上旬に播いたばかりの大豆(青大豆)も、ようやく育ってきたオクラ(ダビデの星)も、そして本格収穫を目前に控えたカボチャ(すくな南瓜)も台無しになるところでした。

 事実、日照りが続く中、大きなカボチャの葉は、白く粉を吹いたようにもなり、黄色く枯れたようにもなり、果たして実は熟すのか? 行く末が案じられました。ナスやトマト、ショウガなど他の夏野菜は日々、水遣りをしましたが、すくな南瓜の蔓や葉は一反300坪ほどに広がっていますので、その掛け水と作業量からして、とても水播きするに及びません。手の施しようがないまま“空梅雨と日照りの夏”を過ごしているばかりでしたが、ここにきて2日続けて雨が降り、野菜も私も少しばかり生き返りました。

初収穫したカボチャは中型だが、まずまずの良品!

 思えば、このカボチャを作り始めたのは2010年のこと。近在の農家から種子をいただき、以来、畝作り、施肥、緑肥の播種、育苗、植付け、蔓の整枝、追肥、そして草取りなどを繰り返し行い育ててきた訳です。この間、育苗過程での虫食いや雑草の繁茂などに悩まされ続けてきましたが、7年目の今年、すくなカボチャ作りをほぼパーフェクトな状態で進行させることが出来たのです。事実、5月の段階ではカボチャの葉は例年になく青々と茂り、大きくて品質の良いカボチャの生育が期待できました。それが特に7月に入って一滴の雨も降らず、収穫期を迎えるに至ったのです。

 そして7月30日、妻のノーリンと共にカボチャ畑に足を踏み入れました。一部、葉が枯れ落ちるなど水不足の影響もありましたが、葉の下で見え隠れするカボチャたちは期待通りに大きく、見事な姿で土の上に横たわっていました。これから8月一杯まで収穫作業を続けます。

 

2017年 小満

 ソラマメ、キャベツ、ニンニク、タマネギ、エシャレットなど、寒い冬を過ごしてきた野菜たちが、ようやく収穫時期を迎える皐月晴れの5月下旬、

農業体験をしたい

と言って、ドイツの若者夫妻がやってきました。夫の名はクリちゃん、妻の名はミヤちゃんです。

二人は、実は8年前の夏に来訪し、田圃の草取りを手伝ってくれましたが、その時はまだ婚約したばかりの恋仲でした。それが今回は結婚を経て、生後8ヶ月になる赤ちゃんを連れやってきたのです。育児休暇をたっぷり取り、ミヤちゃんの実家の東京で2ヶ月間を過ごし、6月に帰国するとのことです。

 「Long time no see. How are you?

 ドイツ人のクリちゃんと日本人の私は英語で挨拶を交わしましたが、その後はすべて日本語でお話をいたしました。というのも、クリちゃんは自国語はもちろん英語やフランス語、ラテン語、スウェーデン語、そして日本語もできる、国際ビジネスマンとして活動しているのです。妻のミヤちゃんは日本人ですが、英語とドイツ語も堪能で、時折、難しい日本語については彼女がクリちゃんに英語で説明をしていました。

 そんなドイツの家族と一緒に昼は農作業を楽しみ、夜は食卓を囲み歓談いたしました。蛙の合唱を耳にしつつ田圃の上を吹き渡る風を感じながら、日本酒や味噌などの醗酵文化ことや、かつて私が好んで通った東京・下町の酒場の話題に花が咲きました。

 翌日、クリちゃんは薩摩芋(安納芋)の畝づくりを手伝え終えると、「九十九里浜の海を見たい」と言って帰りました。帰ったというよりも、田舎家の現実に留まりてやまない私とは異なり、若者達は未来に向っていったのです。客人らが去り、当家には妻のノーリンと二人の静けさが戻ってきました。若いドイツ人夫妻と、その可愛い赤ちゃんの顔が思い浮かびます。 

2017年 立春

 寒さも和らぎ陽の光に誘われて、のろのろ畑に出掛ける今日この頃、特段に農作業がある訳ではないけれど、畑のあちこちを歩き回るうちに、「まだだと思うけど、蕗の薹(ふきのとう)が出ているかどうか」などと思いつつ、杉の高木の陰の一角に植え付けてある蕗の畑へと足を運んでみると、なんと! 朝霜が融けてやや泥濘(ぬかる)んだ土表に、枯れ草の間から蕗の薹がちらほら芽を出していたのです。

  私は蕗の薹の香りが大好きで、かつては蕗の薹を求め野山へ出掛けていたのですが、ならば自分の畑で蕗を栽培しようと思い立ち、4年前に蕗の根を植え付けました。それから1年置いた2年後に、つまり昨年2月中旬にようやく蕗の薹を収穫したのですが、その時はほんの僅か、数えるほどしか収穫できませんでした。 

 それが今年はまだ1月末だというのに、早くも芽を出し、春の到来を知らせてくれたのです。幾つか芽が出たうちの大きなふっくらとした薹を二つ、指先でむしり取り、私は顔に近づけて匂いを嗅ぎました。鼻腔を通じて頭の奥までも匂えるほのかな香りは、まさしく値千金の価値があります。今年の初収穫となった日が1月29日、次いで数日後に5個、そして今日、2月4日の立春の日に妻のノーリンが10個も摘みました。この調子だと、今年は結構、蕗の薹の香りと味が楽しめそうです。

  塩分を排泄するカリウムを多分に含むため高血圧に効果有らしめ、かつ新陳代謝を促進し、発がん物質を抑制する成分も含むという蕗の薹。お膳の傍らに置いてみればそこはかとなく香り、味噌和えや天麩羅など食してみれば、ほろ苦い味わいが酒の友として好く似合います。折りしも、知り合いから頂いた野生の鴨肉で鍋料理、薬味として細かく刻んだ蕗の薹をちらほら汁の中に入れて食べました。

 ほろ苦き 風ふき香る 春の膳 

  立春の日の4日、もっか植わっている春キャベツ、玉葱、蚕豆、エシャレット、アスパラガスなどに追肥するとともに、馬鈴薯(インカの瞳、目覚め)を植える畑の土の耕耘のため、久し振りにトラクターを駆動させました。春の訪れとともに農作業を開始いたしました。

2016年 小雪

 勤労感謝の日の翌日、11月24日に雪が降りました。関東甲信越地方で、こんなに早く初雪が観測されたのは54年振りのことだそうです。ですが、2日前の22日は二十四季節のうちのひとつ「小雪」ですから、雪が降ったからといって、それほど可笑しなことではありません。

 それにしても、この雪の降る前に生姜(千葉在来・中ショウガ)や薩摩芋(安納芋=あんのういも)の収穫を終えていて良かった! 生姜も薩摩芋も南方が原産地ですから寒さに弱く、霜や雪に遭うと味覚も落ちるし実も腐ってしまいます。このため10月下旬から順次、収穫作業を続けてきたのですが、前回の「寒露」の便りで書いたように、19日(土)~20日(日)にかけて友人達が家族連れでやってきて、最後の芋掘りを手伝ってくれました。今年は2家族だけでしたが、昨年に引き続き楽しそうに声を発しながら芋を掘り出す子供たちと一緒に秋日和を過ごすことができました。

 さて、あとは当家の手作り味噌の原料とする大豆(青ダイズ)の収穫を残すばかりですが、かと言ってこれで農作業が一段落したわけではありません。雨降りで野焼きができないままになっている南瓜(すくなカボチャ)畑の枯れ草や、立ちんぼのまま枯れてしまったオクラ(ダビデの星)の幹、山積みされた薩摩芋の蔓(つる)などを始末しなければなりません。そして改め畑をいま一度、耕し、来春からの農作業に備えなければなりません。

 おっと、その前に、明後日の27日(日曜日)には東金市の“産業祭”が開催され、私も出店いたしますので、販売活動にも精を出さねば! どうにも農業という奴は、終わりなき戦いの連続です。

2016年 寒露

「秋分」から「寒露」へ、秋はいよいよ本番を迎えようとしています。「寒露」の頃から朝晩の気温差が激しくなり、草花に付く露玉は冷えて、畑を廻る私の地下足袋を濡らします。まさしく“実りの秋”の季節となってきました。

 しかし、その実りの秋に自信を持って売り出せる野菜がありません。この間に襲ってきた幾つかの台風と、例年より長引いた秋雨によって、野菜たちの多くが朽ちたり、枯れたり、充分に生育しない事態となっています。

 「今年はオクラ革命を起こす」などとほざいていた私ですが、、そのオクラ“ダビデの星”は、まったくの不作でした。種蒔きした当初から施肥を誤ったせいもありますが、台風の風で何度も幹や枝が倒れたり、その美しい花が咲いても驟雨により日光不足で実が成らず、あるいは成っても実が硬く、育てた百株のうち満足に実を付けたのは3分の1ほどでした。

 そのほか「雲南百薬」、唐辛子の「鷹の爪」、カブ、大豆なども、みな中途半端な出来映えで、働いた分の成果が得られずに終わりそうです。この間、ようやく植え終えたニンニク(ジャンボ&紫)、ラッキョウ&エシャレット、そしてこれから種蒔きするソラマメや玉ネギなど、来年5月~6月に収穫期を迎える野菜たちに期待を寄せるよりほかにありません。さらには近く掘り出すサトイモ「石川早生」、ショウガ「千葉在来種」、サツマイモ「安納芋」などに期待をつなぐばかりです。

 そのサツマイモですが、毎年、私の友人達が家族連れでやってきて“芋掘り”を楽しむイベントを、今年は11月19日(土)~20日(日)にかけて行います。年々、成長していく子供達の喜ぶ姿が目に浮かびます。

2016年 立秋

 8月8日の立秋が過ぎ、農作業も秋冬野菜作りの準備に入ります。お日様はかんかん照り、立秋とはいえ夏の真っ盛りの暑さですが、周囲の森から吹き抜ける風は暦のとおり秋の気配を感じさせる涼しさを覚えます。

 人気の薬草野菜「雲南百薬=うんなんひゃくやく」をはじめ茄子やトマト、ピーマン、スイカ、金太郎メロン、冥加(みょうが)といった夏野菜の収穫を続ける一方、いよいよカボチャ「宿儺=すくな南瓜」の本格収穫も始まりました。今年も出来はまずまず、1本2,500g以上のLサイズが結構、獲れています。東京では1本1,500円~2.000円くらいしますが、通販で800円~1,200円で出荷しようと思っています。

 また、今年は多収量を期待して沢山、植えたオクラ「ダビデの星」の収穫も始まりました。このオクラは普通のオクラよりも大きい、ずんぐりむっくり型の大きなオクラですが、味は実にスイート&マイルド、格別な美味しさです。丸かじりすると、オクラの原点が味わえます。

 こうした夏野菜を収穫するかたわら、大蒜(ニンニク)をはじめラッキョウ、馬鈴薯、人参(ニンジン)、大根、蕪(カブ)といった秋野菜を作るための畑、畝づくりを進めています。畑の耕うん作業から始まり、石灰や堆肥の搬入・散布、そして畝立てという一連の力仕事に毎日、汗を流しております。でも時折、畑を吹きそよぐ秋風に救われながら…。 

2016年 立夏

 薫風が頬を撫で、畑の上を吹き抜けていきます。
木々が芽を吹き、花を咲かせ、やがて散ってしまったかと思うと、あたりは一面の青葉、若葉の世界となり、今は、畑の小屋の傍に植えた藤の木も艶やかに咲きそろう、皐月の頃となりました。
 爽やかな青空が続く好天に従い、癒えることがない腰の痛みに我慢を寄せながら、昨今は南瓜(すくなカボチャ)や青大豆、オクラ(ダビデの星)、生姜などの土づくり畝づくりに励んでおります。
 また、昨秋に植え付け冬を越してきた大蒜(ニンニク)や玉葱、蚕豆たちは順調に生育しており、昨年は赤サビ病で半分しか収穫できなかった大蒜も、今年は青々とした葉を風に靡かせています。
  当農園も、いよいよ野菜作り本番の季節を迎えました。6月には馬鈴薯(インカのひとみ、インカのめざめ)の収穫を開始しますので、見物がてら農園へ遊びにお出でください。